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御悲しみの聖母   Septem Dolorum B. Mariae Virg.      記念日 9月 15日


 聖マリアは天主の御母という尊厳極まりない御位にあらせ給う御方であるから、その聖心には常に歓喜と楽しみが満ち溢れていたと考えられるかも知れぬが、これは大いなる誤りであって、実際は悲哀の御母と呼ばれるほど、数々の辛酸を嘗め給うたのであった。それは祖先アダムとエヴァ以来の人類の罪を、受難によって償い、救世の大業を果たし給う御子イエズス・キリストに、御母として、また女性の代表として、力をあわせ、労苦を分かたれるのは、当然でもあり、必要でもあったからである。
 イエズスの御降誕後40日を経て、聖母が之をエルサレムの神殿で天主に奉献された時であった、シメオンという敬虔な老人が彼女の将来に就いて「貴方の御心も苦痛の剣で刺し貫かれましょう」と預言した。この言は見事に適中しその後の彼女の生涯は精神的にも肉体的にも艱難苦労が絶えず、御悲哀の連続といってよかった。わけてもその著しいものが七つある。それでしばしば、聖母の御心は七本の剣で貫かれたといわれるのである。では、その七つの御悲哀とは一体何であろうかそれをこれから説明して見よう。

 1、シメオンの預言
 先に述べたイエズスを聖殿に奉献の砌、老シメオンはまた聖き嬰児を抱いて「この御子は他日人々の反抗の目標とされ、多くの苦痛をお受けになりましょう」と預言した。これを耳にされた時、愛深い御母の御胸は、御子の行く末を案ずる余り、言いようもない心痛を覚えられずにはいなかった。これはその第一の御悲哀である。

 2、エジプトへの御避難
 ヘロデ王が東方から来た三人の博士にイエズスの御降誕を聞き、之をわが位を奪い取る者と誤解して殺そうとした時、聖母は聖ヨゼフと共に天使の御告げに従って御子を伴い、エジプトに逃れ給うたが、途中の艱難辛苦、異国の慣れぬ言語風習など何一つ彼女の御心を痛ましめぬものはなかった。これ、その第二の御悲哀である。

 3、イエズスの行方不明
 イエズスが12歳の御時、その初参詣として御両親は彼をエルサレムの聖殿へ連れて行かれたが、その帰路ふと御子にはぐれ、方々探し回って三日目に漸く之を聖殿の中で発見された。しかし愛する御子の御姿を見失い給うた時の御母の御嘆きと御心配とはどれほどであったろう。これ、その第三の御悲哀である。

 4、十字架の道における御子との再会
 聖母は御子が重い十字架を肩に、恐ろしい茨の冠を頭に、カルワリオへ赴かれる途中、馳せ往いてその憔悴された御姿をご覧になったが、その時の御胸中はどのようであったろう。これ、その第四の御悲しみである。

 5、イエズスの十字架上の御死去
 聖マリアは十字架の下にたたずんで、目に最愛の御子が断末魔の御苦悶を仰ぎ見、耳に敵の嘲り罵る声を聞き、腸も九回するばかりの深刻な哀傷を経験し給うた。これ、その第五の御悲哀に他ならぬ。

 6、イエズス十字架より下ろされ給う
 主の御屍が十字架より取り下ろされるや、御母はその痛々しい御傷跡、変わり果てた御姿をつくづくと眺め、胸も張り裂ける思いに今更の如く嘆き給うた。これその第六の御悲哀に他ならぬ。

 7、イエズスの御埋葬
 その日は過越祭の前日であった為、主の御遺骸を葬る万端の仕度を調える遑もなく、ニコデモやアリマタヤのヨゼフ、それにヨハネや御弟子の婦人数人の手を借りて、近所の岩穴に慌ただしく仮埋葬に付した。この事も聖母にはどれほど情けなく心残りであったか知れない。これ、その第七の御悲哀である

 以上記した中、最後の四つは相連続した御悲哀故、之を一つと見ても差し支えない訳であるが、その各々が深刻を極めている上に、全体を古来聖数とされている七の数にしたい為、別々に算えるのが常となっている、そしてこの聖母の七つの御悲哀を記念すべく聖会は一年に二つの日を定めた。その一つは四旬節中枝の祝日の前の金曜日であり、その二は本日、即ち9月の15日である。
 各教会の信徒信心の実際に徴しても、聖会の歴史を調べても、人々はこの悲哀の聖母を特に敬慕しているようで、之に献げられた聖堂も少なくない上に、その絵画、彫刻、詩などの傑作も甚だ多い。これは人の親ともなれば、子供の為に心配し、愛する故に悲しむことは誰しも免れぬ所であるから、悲哀の聖母に最も共鳴し、その立派な御鑑に倣いたいと望む人情が然らしめるのであろう。
 聖ベルナルドは悲哀の聖母に就き説教して之を「精神的殉教者」と呼んだ。聖マリアはイエズスが悪人から苦しみ、辱め、嘲り、罵りを受け給うた時、これらをことごとく我が身に与えられたも同様に感ぜられ、御子と全くその悩みを共にしキリストの御死去に際しては御自分も精神に於いて殆ど絶え入り給うたのであった。これは実際精神的殉教という外はない。されば聖母が天に於いて殉教者の栄冠を獲得されたことは疑う余地がなく、聖会が聖マリアの連祷中で彼女を「殉教者の元后」と讃え奉るのも当然というべきである。我等は最後に公教会祈祷書中にあるヤコボ・ダ・トヂ作の有名なスタバト・マーテル(聖母の悲哀に対する祈祷)の一節を誦えて、悲哀の聖母のいみじき犠牲精神にあやかる恵みを願おう。

 ああ聖母よ、十字架に釘付けられ給える御子の傷を、我が心に深く記し給え。

 祈願 天主よ、主の御苦難の時に当たりて。シメオンの預言の如く苦の剣は永福なる童貞母マリアのいと甘美なる魂を刺し貫きしにより、願わくはその御悲哀を記念して祝い奉る我等をば、主の御苦難の幸福なる好果に至らしめ給わん事を、聖父と聖霊と共に世々生き且つしろしめし給う天主よ、アーメン。